人間生きていれば、ひとつもいいことがないように
思える時期ってありますよね。
自分は生まれてこなければよかったとか、生きているのが
いやになった。と瞬間的にでも思ったことは誰にでもあることではないでしょうか。
あの時、あんなことにならなければ、あの時、もっとこうしていれば、
とか、とりとめなく考えてしまうのが人間です。
過去、私は親に向かって「生んでくれと頼んだ覚えはない」などと
言ってしまったことがあります。
実際には自分がいやになって両親にやりきれない思いをぶつけた、
というのが本当です。
でも、今考えるとその苦しい時期があったからこそ、生きるという
本当の意味を考えて、今の自分があるのだ。と思えるんです。
人は生きて生まれて死んでいく。何の目的のために生き、
人生の果てにはなにがあるのか?
こんなごくありふれたことが、自分自身のことであるにも関わらず、
人はその本質をはっきりと理解していません。
物事には全部目的があって存在しているのです。
時計やカメラ、テレビなど、それらには目的がある。
すべての存在には目的があります。
ところで人間自身はどうでしょう?
人生の目的を知って、その価値を最大限に発揮していかなくては、
いけない存在です。
以前、夫婦修復のメソッドに出会ったばかりのころ、自分の先生に
言われたことがあります。
「今まで人生のなかでいろいろとあったことでしょう。
でも、自分たちが携わっていること、(家庭の理想を追求する、
夫婦円満を実践する)このことはこの世の中のどんな平和運動よりも
価値があるのですよ。」
初めはまさか、大げさだな、と思いました。
自分を見ればたいした人間ではないし、とにかく自分のことで精一杯でしたから。
でも、ここ10数年、ずっと家庭の愛の秩序を研究すればするほど、
その意味が理解できます。
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